この間のアブダビの試合の記事が載っていました。
一部抜粋ですが、とてもイイこと書いてあります。
『一方、ジュニア部門はというと、
柔術とゆかりのあるレスリング・キッズたちが、
感嘆してしまうような高度な技を見せたり、可愛らしくもあったりと、
予想以上に盛り上がりを見せた。
そして、この日、小学校1・2年生、体重19kg未満級に
鶴屋怜君と鶴屋健人君が出場していた。
「あ、あの子たちが、もうこんなに——」
5年。
自分の娘より1歳年長と、1歳年少(だったと記憶している)だから、
これぐらい大きくなっているのは当然なのに、どうにも感慨深いものがある。
ファインダーが、揺れてくる。
自分は感動しぃだし、随分と涙もろくもなっている。
けど、よそ様の子供が大きくなっているだけで、
涙が出そうになるなんてことはない。
たとえ、オムツをはいている時代を目にしたことがある兄弟が、
バックを奪い合ったり、首投げをした瞬間、バックマウントを狙ったり——
してもだ。
5年前——、
「子供はまだ分かっていないと思うんですけど、『カッコいい親父』を
見せてあげたいなって。
こいつらに『世界一の男と戦ったんだ』って将来言いたいですね」——、
と言っていた鶴屋浩。
あのとき、彼の腕に抱かれていたのは
おむつを履いた怜君と、健人君だった。
涙でファウンダーが真っ白になってしまう。
2002年8月、
翌9月のプロ修斗横浜文体大会で、シャオリン・ヒベイロと対戦する
鶴屋の取材をしたとき、彼は上にある言葉を口にした。
あのとき、原稿にしたためることはなかったが、
自分は、そのシャオリン戦が最後の総合の試合になると聞かされていた。
強いパンチを受けると、アゴ、目の下の骨が崩れるかもしれない。
痛みがひどくて、打撃はおろか、顔面が他人に触れる練習ができない。
そんな状態で、世界一の男と戦った。
もう少したてば、世界一と戦うことより、
そんな父の生き様を、怜君も健人君は誇りに思うだろう。
そして、そんな背中を見て成長しているのだから、
そんじょそこらの苦境に負けることもないに違いない。
子供は親の言葉なんて、成長期には理解しない。
ただし、
親の姿勢、背中を見続けている。
自分の気持ちは、ごまかせたり、嘘をつけても、
子供には嘘をつけない。
尊敬されようが、反面教師になろうが、己は己、あるがまま生きるしかない。己の気持ちに嘘をつけば、それは子供には見抜かれるし、
子供のために——なんてことは、本当は子供のためじゃないことを
誰よりも、己が知っている。
あれから5年——、
怜君と健人君が向かい合った同じ場所で、
鶴屋浩は、マスター2アドバンスドクラスに出場し、
アームロックで一本勝ちをした。
プロ修斗引退後も、柔術で世界を目指し、
修斗時代よりも厳しい減量をしペナ級にチャレンジしたこともある父、
太ったのではなく、ウェイトでがっちりした体でノーギの試合に挑む。
3人の父となり、もうじき37歳になる。
鶴屋浩は、アゴに異常がなくなり、打撃有りがやりたくなったと
豪州でケージファイトに挑戦を決意した(諸事情で流れた)。
3人の息子たちは、いつも彼を見続けている。
金メダルを下げた父親が、自分と立ち話をしているとき、
早く家路に着きたかったはずの子供たち。
時折り、こちらを伺い見た彼らの瞳は、
誇らしげで、笑みが絶えなかった。』
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